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現在(いま)を生きる
                 ―「『抽斗』で勝負するな」(岡本喜八)―


今月2月19日は平成17年(2015)に亡くなった米子市出身の映画監督岡本喜八( 1924―2015/本名・岡本喜八郎)さんのご命日です。

監督として手がけた39本の劇場映画を始め、生涯に数多くの作品を世に送り出した岡本監督が自らに課していた信条が、副題に挙げた「『抽斗(ひきだし)』で勝負するな」だったそうです。

ここで言う「抽斗」とはタンスや机のそれで、衣類や様々な品物がたくさん仕舞い込まれていることから転じて、「臨機応変に活用できる、隠れ持った多様な知識や豊かな経験のたとえ」(『大辞泉』)を意味します。

映画監督で言うならば、長年の監督生活で蓄えた経験や知識、映画作りのノウハウなどを指し、作品をたくさん撮れば撮るほど自分(抽斗)の中にそれらが蓄積されていきます。

しかし、岡本監督は「それを使うな(既得の知識や経験に頼るな)」と言われたわけです。

「ゼロから始まり、ゼロに戻るのが映画づくり」
「一本作ったら、それを全部忘れ、またゼロから出発する」

とよく口にされていたそうですが、だからこそ39本もの、それも戦争映画・時代劇・サラリーマンもの・アクションといったバラエティに富んだ、ジャンル(分野)に縛られない作品を作り続けてこられたのでしょうし、亡くなられる直前まで次回作 (山田風太郎原作『幻燈辻馬車』)への準備を怠ることがなかったそうです。

とは言え、「言うは易し、行うは難し」です。

映画がヒットすればするほど、評判が良ければよいほど、それを忘れて違うものに挑戦する。
言うなれば、たえずそれまでの自分を壊していくわけですから、築き上げてきた地位や名声に執着していたらとてもできることではありません。

また、監督自身が冒険したくても周りがそれを許さないような場面もあったでしょう。

何より自分自身が、絶えず新しくなっていかなければならない。
絶えず学び、アンテナを張り、新しい何かを吸収し続けなければならないのです。

聞けば監督は、暇な日にはご自宅近くの駅前(神奈川県川崎市・小田急線生田駅)に出かけて道行く人を観察しながら、思いついたことをメモされていたそうですし、俳優 の仲代達也さんによれば、ヒマさえあればシナリオを、それが映画になるかならないかは別として、とにかく書いていらしたそうです。
 
 


故岡本喜八監督
 

 


「抽斗に頼るな」

これは何も映画づくりに限った話ではありません。

ただ、人間年齢をとればそれなりの「抽斗」を持ちますし、それを頼りにもします。
積み上げてきた業績を誇りたくもなります。
そして何より、新しいものを吸収し続けることに疲れてしまうのではないでしょうか。

「いまどきの若い者は……、それに引き換え自分らの若い時は……」と言っておけばある意味楽ですらあります。

でもそれは本当の意味で生きていることにはならないのではないでしょうか。

以前「住職日記」で紹介した話ですが、ある人が自分が、

「この方は昔○○をなさっていた方です。」

と紹介されたのを聞いて、

「失礼な」

と怒られたそうです。

 「間違った経歴を伝えたわけでもないのにどうして ?」と不審に思ったところ、その人曰く。

「肝心なのは『昔何をやったか』ではなく『今何をしているか』でしょう。
 私はまだ死人ではありませんよ」 

昨年の宗祖親鸞聖人750回御遠忌に併せて開催された『親鸞展』(京都では聖人直筆の『教行信証』 (国宝坂東本)が展示されていましたが、全編にわたっておびただしい推敲の跡がありました。
60歳頃にいったん脱稿されたそれに、聖人は90歳で亡くなられるまで「より良いものに」と手を加え続けられたのです。
(親鸞聖人のこの姿勢は『教行信証』以外の著作でも同様で、『三帖和讃』を始め多くの著作がいったん完成して門弟に与えられながら、その後も改訂が繰り返されています。)
 

 


親鸞聖人真蹟『教行信証』
(国宝・坂東本)
 

 
これも「住職日記」に載せた話ですが、以前、山門に、

「『これから』が『これまで』を決める」

という一文を掲示したところ、

「『これまで』が『これから』を決める、の間違いではないのですか?」

と尋ねられたことがありました。

確かに「これまで(過去)」によって「いま(現在)」が、そして「これから(未来)」も決まってしまいます。
過去に制約されない現在も未来もあり得ません。
また、過去に起きた出来事そのものもなかったことにはできません。

しかし、「これから」の自分の生き方一つで、過去の出来事のもつ「意味」は変わっていきますし、変えることもできるのではないでしょうか。

どんなに輝かしい過去があっても、今が惨めであったならば、それは自分を苦しめるものでしかありませんし、どんなにつらい過去であっても、今が幸せならば、あの経験があったからこそ、今のこの私がある」と思えるのではないでしょうか。

肝心なの「現在(いま)をどう生きるか」なのです。

(『西念寺婦人会だより』2012年2月号掲載)
 

 

 〔お・ま・け〕

 

 


上の言葉を教えて下さった方
 

 

同席の某氏

Who is she?
 

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