住職日記   真宗大谷派 西念寺
 

TOPに戻ります

西念寺の紹介 真宗豆知識 今月の法語・行事 今月の法話 法話ライブラリー
視聴覚ライブラリー お知らせ 掲示板 メールはこちらから リンク集です
 
 
住職日記
  〜ご院家さんのひとり言(不定期更新)

2011年1〜6月分 2011年7〜12月分 

 
 

人呼んで「ネコ耳“痛EV”」
 

 雪もだいぶ溶けたので、 の記事でお約束していた「痛車」 の画像、アップします。                                                             
 

 

 

 

     
 

 ネコ耳娘3人のキャラクター名はクロッキー(上画像)、ミノケン(左)、クワトト(右)。
                                        (以上、『日本海新聞』記事より)
 その他に米子城址、山陰歴史資料館(旧市役所)、米子水鳥公園(運転席側ボディー)、大山、旧日野橋、皆生海岸(助手席側ボディー)などが、「国際マンガ博」のキャラクターを巡って近頃何かと話題の赤井孝美さんの絵で描かれていました。

 法勝寺町駐車場のEVスペースでは滅多に見かけませんから、みなさん結構乗っておられるみたいです。

 何にしても利用者があるのは良いことです……。
 
 ……良いことではありますが、やっぱり私にはまだその「勇気」はありません。
(写真を撮るとっているのを見られるのすら、ちと恥ずかしかった……(-_-;))

(2月4日)

 
 

今度こそ「痛車」!!
 

  昨年の10月下旬、「もしかして『痛車(いたしゃ)』!?」と題して「米子市中心市街地でEV(電気自動車)によるカーシェアリング実証実験が始まった」 のを紹介した一文を書いたのですが、 読み直してみたら、「おかしな模様の車を門前で見た」「痛車かと思ったが違った」というだけの内容だったので、自主的に「ボツ」にしていました。(今回改めてアップ)                                                             
 


これが実証実験用のEV(電気自動車)
 

 

 ところが、今度そのEVに本格的(?)な「痛車」が加わることになりました。

 その記事がこれ

EVカーシェアリングに痛車お目見 赤井さんデザイン

 鳥取県米子市は31日、中心市街地で進める電気自動車(EV)カーシェアリング実証実験のレンタルEVに、同市出身のイラストレーター、赤井孝美さん(50)作のアニメキャラクターをデザインしたラッピングカー(通称・痛車(いたしゃ))を導入した。EVの「痛車」は全国でも珍しく、サブカルチャーイベントが盛んな法勝寺町や今秋鳥取県内で開催される国際マンガサミットをPRする狙い。……
 米子市は、太陽光発電システムを活用したEVの共同利用が地域にどんな恩恵をもたらすのかを検証するため、昨年11月からEV4台を導入して実験開始。このうち1台を痛車に改造した。2月末で実験期間は終わるが、3月以降も実験を続ける方向で国や県と協議している。
                                     (2月1日付「日本海新聞」)

 去年の夏に廃ビルが撤去されて以来、門前にいろんなものがやってきだしました。
 紙芝居屋、プロレス、EVに今度は痛車。 

 ……でもこの痛車、やっぱりオレ乗る勇気はない!!
 

 と、ここで肝心の痛車の画像を載せるべきところなのですが、

 ……全国的な大雪の結果、現在この状態。 ☟
 

 

 


  痛車は雪の下〜〜〜。
 

 

 雪が溶けたら改めて画像をアップしましょう。

(2月2日)

 ……しかし、やっぱり「おかしな車を見た」という以上の記事にはならなかったな〜〜(-_-;)

 
 

門徒物知らず」もしくは「門徒物忌み知らず」
 

 永年、それなりに人間をやってきていますが、知らないことは山ほどあるものです。

 先日、「意外と知らない年賀状の「NG」マナー」(「冠婚葬祭」ガイド:中山みゆき)という一文を読んでいた時に、次のような文に行き当たりました。

 忌み言葉はある?

Q:年賀状に忌み言葉はありますか。

A:忌み言葉として「去る」「失う」「滅びる」「絶望」などはNGワードになります。使わないようにしてください。
同じように「去年はお世話になりました」という言葉は避けて「昨年は〜」「旧年は〜」を使います。

 毎年の年賀状で私は、新年の挨拶に前年最も心魅かれた「言葉」を添えて出しているのですが、今年選んだ「言葉」が……、そう、

たとえ明日、世界が滅びるとしても、
 私は今日、林檎の樹を植える。(作者不詳)

 ……(-_-;)

 上記の 文を読んだのはすべての年賀状をすでに投函し終えた後、……やってしもうた〜〜〜(叫)

 ひと声叫んだ後ふと我に帰って、もしかして以前の年賀状も……、と引っ張り出してみたところ、

《2009年》
この世の最大の
不幸は、貧しさでも病気でもありません。
自分が誰からも必要とされない、と感じることです。(マザー・テレサ)

《2007年》
生きている人だけの世の中じゃないよ。
生きている人の中に
死んだ人も一緒に生きているから人間は優しい気持ちを持つことができるのよ。(灰谷健次郎『太陽の子』より)

《2005年》
悟りという事は如何なる場合にも平気で
死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居るという事であった。(正岡子規)

《2002年》
〈生きる〉とは、地上に在る
生の短さをつくづく思い知って、抱きしめるように慈しむことだ 。(辻邦生)

と、わざとやっているとしか思えない「忌み言葉」のオン・パレード。

 もはや笑うしかない……\(^o^;)/


 さて、この「忌み言葉」ですが、その源にあるのは、もともと言葉には不思議な力が宿っていて、に出した言葉が現実の事象に影響を与え、良い言葉を発すると良い事が起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こるとする、いわゆる古代以来の 「言霊(コトダマ・言魂)」の思想だそうです。

 私たちの身近にある「忌み言葉」と言えば、

結婚式・披露宴の際に「別れる」「切れる」「割れる」は禁物。
受験生を前に「落ちる」「滑る」「転ぶ」等の言葉を言わない。

といったストレートに使用を避ける場合や、

病室の番号および病院の待ち番号などでは数字の「4」「9」を使用しない。(「4」が「死」に、「9」が「苦」に通じるから)
お見舞いの際には鉢植えの花はだめで、切り花に限る。(病院に「根付く」を連想させるから)
「友引」には葬式は出さない。(文字通り「友を引く」から)
四十九日(しじゅうくにち)法要の「三月(みつき)越し」―命日から3ヶ月をまたいで勤めること―を避ける。(「始終(しじゅう)(く)が身(み)に付(つ)く」から)

といった「忌み言葉」に起源をもった習慣などがあります。

 この他にも、

「切り身」「刺身」の「切る(切腹する)」「刺す」を避けて「お造り」。
スルメ」の「「する(摩る・ギャンブルに負ける)」を避けて「アタリメ」。
豆腐」の「腐(くさる)」の字を避けて「豆富」。(そういえば最近のアニメに「豆富小僧」とかあったっけ……)
」の字が「金を失う」と読めることから、会社名に旧字体の「鐡」や旁を「失」ではなく「矢」に変えた「」を用いたりする、などなど……。

といった、言われてみればこれもそうかというのから、大の大人が真面目に考えることかとあきれそうになるものまで、私たちの日常には「忌み言葉」が溢れています。

 確かに私たちは「死」だの「苦」だの「別離わかれ」だのといった不幸な出来事にできる限り出会いたく ありません。

 ただ、いくら「4」「9」という数字を避けてみても、それらを連想する言葉を使わないようにしても、苦しみに出会わずに生きていけるわけではないし、死なない身体になるわけで もありません。
 さまざまな苦しみに出会わざるを得ないのが人生であり、老い、病み、死んでいくのが人間なのです。

 むしろそのような人生を、我が身をどう生きるのか。
 他でもないこの自分がいつか必ず死なねばならないという「事実」から、目をそらし続けて生きるのか、それとも、しっかりとそれを見据えて自分の人生を考えていくのか、それこそが問題なのです。

「諸行無常」(しょぎょうむじょう)の人生をどう生きるのか。

 これこそが釈尊(しゃくそん、お釈迦さま)、青年ゴーダマ・シッダールタを出家せしめたその出発点であったと言えます。

 私が年賀状に忌み言葉を用いたからといって、けっしてその人に「滅びろ」だの「死ね」だの言っているわけではないのです。


 ……というわけで、私から「忌み言葉」満載の年賀状を受け取られた皆様、どうかお気を悪くなさらずに、

「あの住職はホンマ、「門徒物知らず(物忌み知らず)」やなあ〜。」

と笑ってやってください。m(_ _)m

(1月29日)

 
 

謹 賀 新 年


たとえ明日世界が滅びるとしても

  私は今日林檎の樹を植える。

(作者未詳)


        旧年中の御厚誼に深謝し、本年も宜しく御指導の程お願い申し上げます。

(2012年1月1日)

 
 
 

2011年1〜6月分 2011年7〜12月分

Copyright(C) 2001.Sainenji All Rights Reserved.