法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
「住職日記」(2002年1月〜4月分)
 

2001年10月〜12月分 現在の「日記」  2002年5〜6月分

 
 

三つ子の魂……

 「栴檀は双葉より香ばし」といった諺もあるように、英雄・偉人にはとかく幼少期の「伝説」がつきものですが、実は親鸞聖人にもそれがあります。

 親鸞聖人(幼名・松若丸)が最初に話した言葉が「南無阿弥陀仏」であったというのがそれです。

 おおもとの出典が何かまでは私も知らないのですが、吉川栄治の小説『親鸞』にも確かこのエピソードが取り上げられており、 本願念仏の仏者親鸞聖人ならばさもありなんというような「伝説」ではあります。

 私も以前は、「そんな馬鹿な話があるかい。おおかた親鸞聖人が有名になった後にできた話だろう」と思っていましたが、実は最近、「案外事実に近い出来事を伝えている話かも知れないな」と考えるようになりました。

 もちろん赤子が最初に話す言葉が「南無阿弥陀仏」であるわけはありません。
 しかし、皆さんもご覧になったことはありませんか?幼児(おさなご)がすぐそばの大人の口ぶりを一生懸命復唱しているのを。
 自分の子どもが私や坊守の口調を口真似しているのを見た時、私は「もしかしたらこれが伝説のもとではないか?」と閃いたのです。

 聖人の故郷は京都の郊外日野の里(現京都市伏見区日野)ですが、その地には薬師如来を本尊とする有名な法界寺があり、そこには聖人の一族日野氏によって寄進された阿弥陀堂(本尊・阿弥陀如来)があります。
 折しも末法思想の流行した平安時代の末期です。幼い聖人も当然両親に連れられて参拝したでしょうし、両親が合掌し念仏する姿を見て、わけもわからぬままに一緒に念仏を口ずさむということもあったのではないでしょうか。

 聖人の第一声がお念仏であるという「伝説」は、実は聖人の家庭環境が湛(たた)えていたその宗教的雰囲気を、いわゆる信仰心の篤さを伝えているものではないでしょうか?

 私がこのように考えるようになったのは、実は法座に参られたご門徒の口から、

「自分の幼い頃は1日が朝、蒲団の中で祖父母がお仏壇でお勤めをする声を聞くことから始まった。」
「お勤めをしてからでないと朝、ご飯を食べさせてもらえなかった。」

といった昔話が語られるのをしばしば耳にしたからです。

 幼い頃、わけもわからず眼に(耳に)していた祖父母の姿が、数10年を経て後、自分を仏法聴聞の道に誘(いざな)っている。
 「三つ子の魂百まで」はまさにこのことですね。

 ただ残念なことに、戦後、家族の形態が変わったことによって、お仏壇のない家庭、お祖父さんお祖母さんのいない家庭ばかりになってしまいました。
 今の子どもたちはお祖父さんお祖母さんのお勤めする姿を眼にする機会も、お仏壇を眼にすること自体も、めったになくなってしまいました。

 いたずらに「昔は良かった」などと言うつもりは毛頭ありませんが、お仏壇でお勤めをするその姿、「背中」によって確実に伝えられてきた「何か」がうまく伝わらなくなってしまったことだけは確かではないでしょうか。 

(4月11日)

 
 

暖かい部屋(その2)

 去る2月22日付の日記で「暖かい部屋」という文章を書きました。

 あの文章を載せた後、少し考えてみたのですが、「暖かい部屋」はイコール「いつでも帰って来れる場所」と言い換えることができるのではないでしょうか。
 いつでも戻ることのできる場所、自分の存在が100%受け容れてもらえる場所があれば、人はどんなに寒い所へも、どれほど苦しく厳しい人生にも勇気を持って歩み出して行くことができるのではないでしょうか。

 「帰依処」という言葉もありますが、この「部屋」「場所」とは、具体的には人と人との集い、交わりのことを指すのではないでしょうか。

 ただ、問題はこの「部屋」「場所」のもつ「暖かさ」の質ではないでしょうか。

 かつて地下鉄サリン事件を起こした某宗教教団に「高学歴のエリート」が多数嵌まったという事例がありました。

 マスコミは「エリートの彼らがなぜ?」という疑問を呈していましたが、私はそれを見ていて、結局あの人たちは、実社会において「高学歴(ペーパーテストの点数?)」なんぞが何の役にも立たないことを思い知らされた時に、傷ついたプライドを「ヨシヨシ」と慰めてくれる集団、

「お前が失敗したのはお前のせいではなくて社会が悪いからだ。」

という言い訳を与えてくれる集団の中に逃げ込んだだけではないか、という印象を持っていました。

 そして、閉ざされたその中でなら彼らは「真面目な自分・尊敬される素晴らしい自分」で居ることができたのでしょう。

 「ハルマゲドン(最終戦争)」だの何だのと言っても、結局は、外の現実社会との軋轢が増す中で、ごくひと握りの「幹部」にとっての「居心地の良い場所」を守るための必死の“抵抗”にすぎなかったのかも知れません。

 人を独り立ちさせることのできる「暖かい部屋」とは、そんな自分の「弱さ・醜さ・おぞましさ」を赤裸々に見せてくれる、「厳しさ」をたたえた場所ではないでしょうか。
 そこはけっして「居心地の良い場所」とイコールではありません。

(4月4日)

 
 

日々是れ「更新」(その2)

 ある人が、自分が「この人は昔……をなさっていた方です」と紹介されたのを聞いて、「失礼なことを言うな」と怒り出されたそうです。

 別に間違った経歴を伝えたわけでもないのにどうして立腹されるのか、と不審に思っていたところ、その人曰く。

「自分はまだ死人ではない……。

 肝心なのは、「昔何をやったか」ではなく「今何をしているか」でしょうが!!」

(3月18日)

 
 

日々是れ「更新」

 以前、山門の掲示板に

“「これから」が「これまで」を決める。”

という1文を貼り出していたところ、ある方から「御院家さん、

“「これまで」が「これから」を決める。”

の間違いではないんですか?」と尋ねられました。

 確かに「これまで(過去)」にしてきたこと、起きたことによって「いま(現在)」が、そして「これから(未来)」も決まってしまうという点はあります。
 過去に全く制約されないような現在も未来もあり得ません。
 また、過去に起きた出来事そのものは変えられませんし、なかったことにはできません。

 しかし、「これから」の自分の生き方1つで、過去の出来事のもつ「意味」は変わっていくし、また変えることができるのではないでしょうか。

 どんなに輝かしい過去であっても、今が惨めであったならば、それは「昔は良かった」と余計に自分を苦しめる材料でしかありませんし、また反対にどんなにつらい過去であっても、今が幸せならば「あの苦しみがあったからこそ今の私がある」とその経験自体を愛しめるのではないでしょうか。

 神戸少年A事件で娘を喪った山下京子さんは、著書『彩花へ― 「生きる力」をありがとう』(河出書房新社・1998)」で、自分を励ましてくれたあるジャーナリストの言葉、新婚の奥さんを強盗に殺害された友人にそのジャーナリストがかけた言葉が紹介してくださいました。

「これからが勝負なんです。
 あなたが、これからどう生きるのか。それが奥さんの勝負なんです。
 何年かかっても、何10年かかっても、あなたが人間として勝利してみせることです。生きた証を刻むことです。
 奥さんがどう死んだかなんて、関係ない。殺された偉人はたくさんいる。
 あなたがいつか再婚してもかまわないんです。
 たとえ数か月でも、私はこの人の妻だった。
 その人が人生に勝ってくれた。
 それで、奥さんの生きた時間の価値が決まるのです。」

(3月18日)

 
 

暖かい部屋

 昔話をもう1つ。

 学生時代、所属していたサークルの報恩講で、顧問の鍵主良敬先生(現・大谷大学名誉教授)がこんなお話をしてくださいました。

 私は北海道北見市の出身だが、私の子供の頃には暖房のある部屋は家の中で1つしかなかった。
 でも、いつでもそこに帰って来れる暖かい部屋が1つあれば、人間どんな寒いところにでも出て行けるものですね。

 その時は思わず、「なるほど」と頷いたのですが、じゃあ「暖かい部屋」って何を指すのかと考え始めたら途端に……?

 皆さんならどうお考えになりますか?

(2月22日)

 
 

安田理深先生

 一昨日(2月19日)は、安田理深先生(1900―1982)の御命日〔無窓忌〕でした。

 先生がお亡くなりになってからはや20年。
 幸いなことに、私は学生時代、先生の私塾「相応学舎」での『成唯識論』のご講義を数回聴講させていただくことができましたし、また1度だけご自宅で直接お話をおうかがいする機会にも恵まれました。

 当時私は、文字通り駆け出しのペーペーで、ひと言の質問を発することもできず、ひたすらかしこまってお話を拝聴するばかりでしたが、その時のお話のいくつかは今でも耳に残っています。

「釈尊はカーストを超えたんです。それゆえに「人類の教主」であると言えるんです。」

「人間はさかさまなんです。」
「でも人間にはそのことはわからないんです。」
「仏法を聞けばさかさまの人間がひっくり返って真っ直ぐに立てるようになるんです。」……etc

 先生はその時すでに80歳。
 同行の者の「先生、おいくつですか?」という質問に対して、「えーと……?自分の歳も忘れました」と笑っておられましたが、話がこと「学問」に及ぶと文字通り目の色が変わるといった風情で、この痩せこけた老人のいったいどこにこれだけの情熱とエネルギーが秘められているのか、と圧倒されっぱなしの数時間。
興奮さめやらぬ思いでお宅を後にしたことを覚えています。

 安田先生のご生涯を想う時、ご自身が「名利の学」に簡んで「菩提心の学」と語られたその「学」の厳しさの前に、私は襟を正さずにはいられません。

合 掌

(2月21日)

 
 

親ばか(その2)
                  ―「今月の法語」によせて―

 私の娘(2歳10ヶ月)がまだ言葉を話すようになる前の出来事です。

 私と妻と娘との3人で境内を歩いていた時のこと、妻に手を引かれてヨタヨタと歩いていた娘が、ふと私の方を向いたかと思うと、(こっちの手もつないでよ)とでもいうように空いている方の手を私に伸ばしてきたのです。

 その時、私の胸の中に何とも言えない“感動”がよぎったのです。

(お前はこの私を「オトウサン」と思ってくれているのか?
 この私が「オトウサン」で良いのかい?)

 けれど、そんな私の顔を見た妻はひと言。
 「何をそんなに当たり前のことを嬉しがっているの?変わった人ねえ」
 (……ウ〜ン、いつもながらクールなヤツ)

 でも私はこの時の“喜び”を忘れたくないし、忘れてはいけないんだと思っています。
 せっかく「父親」にならせてもらったんだから……。

(2月12日)

 
 

ネットの効用

 「今月の法語」で取り上げた

「感謝の生活とは「世の中に、当たり前は、1つもない」と、気付いていくこと」

という言葉は、石川県小松市のMr.ぎぶそんさんのHP「スカッとぎぶそん」の掲示板「ギブソン・こてこてワールド」で見つけたものです。
 去る1月12日に掲載されたこの言葉を、ご本人の承諾のもとに拝借して1編の法話に仕上げたものが「今月の法話」で、ぎぶそんさんも早速に当サイトの「掲示板」に感想を書き込んでくださっています。

 私は、自分はどちらかといえばネット、殊に「掲示板」(BBS)については懐疑的な人間だと思っています。
 顔も名前も知らない人間に対して、そこに書かれた文章1つでえもいわれぬ親近感を懐き、気がつけば旧知の間柄のように会話を交わしている。(もちろんその逆もあります。)
 所詮は「勘違いと思い込みの上に成り立つ玩具」ではないか、という印象が拭えないのです。

 また、そこで展開される会話の流れの速さは、たえず即答を迫られるようでもあり、私のようなトロい人間にはついていけないことも多々あります。

 ただ、今回のように、思わぬ形での『心に響く言葉』との出遇いもあったりしますから、一概に良い悪いと決めつけることはできません。
 ぎぶそんさんが最近アップされた2編のエッセイ「乳ガンの妻」「朝のおつとめの意味」

http://www.jcss.net/~gokuraku/boos/myc/myc.cgi

も、もしかしたら、私がこの言葉を取り上げたことに触発されてのものではないか、と1人うぬぼれている次第です。

 要は、自分がどんなスタンスでネットと関わっていくのか、自分の生活の中でネットをどう位置付けるのか、こそが問題なのでしょう。
 いろいろと問題も感じるインターネットというツールですが、こうやって互いに刺激し合えていけたらいいなと考えている昨今です。

 ……でも、皆さん、くれぐれも「寝不足」と「肩こり」には注意しましょうね(笑)

(2月8日)

 
 

御礼と御報告

 この度、当「真宗大谷派 西念寺」ホームページが、CanonetホームページコンテストにおきましてMicrosoft賞を受賞致しました。

 HP製作に御尽力下さった業者の皆様をはじめ、当サイトを御訪問下さった多数の皆様に心より感謝致しますとともに、西念寺住職としての今後の一層の精進を誓って、ご報告させていただきます。

   ※なお、コンテスト結果は下記のアドレスに表示されております。

http://www.canonet.ne.jp/member/contest_result.html

また、TopPageでも「今月のお客様コミュニティ」として御紹介いただいています。

http://www.canonet.ne.jp/

(1月25日)

 
 

自己実現……!?

 前回(1月3日付)の日記に私は、

「自分が考えるようなことは、すでにどこかで誰かが(もっと深く)考えている。」

と書きました。
 それにもかかわらず私はあれこれと文章を考え、発表し、あげくのはてにHPまで作ってしまっているわけです。
 じゃあ一体、私は何のためにそれらをやっているのでしょうか?

  たとえば、「自分」というものを表現するため……?
  自分が自分らしくあるため……?
  自分が自分を好きでいるため……?
  自分がこの世に生まれて生きた証(あかし)、足跡を残すため……?

   ……どれも当たっているような?
   ……どれも当たっていないような?

「この道より我を生かす道なし。この道を歩く。」(武者小路実篤)

(1月13日)

 
 

大言壮語の果てに……

 昨年11月12日の「日記」に「“金子みすゞ”を生み出したもの」という拙文を書き、その最後に、

「みすゞ愛好家のみなさん、どなたか上記の視点(作者の精神を育んだ宗教的側面への着目)から研究してみてはくださいませんでしょうか?
 もしかしたら新しい“みすゞ”像が見つかるかもしれませんよ。」

という、いささか挑発的とも言える一文を載せましたが、今日本屋で、まさしくその視点から書かれた上山大峻・石川教張共著『金子みすゞ 祈りのうた』(JULA出版局・2001)という本を見つけてしまいました。
(上山先生は山口県浄泉寺(浄土真宗本願寺派)のご住職で現龍谷大学学長、石川先生は日蓮宗本佛寺のご住職で東京立正女子短大教授・副学長でいらっしゃいます。)

 自分が考えるようなことは、すでにどこかで誰かが(もっと深く)考えている。
 所詮はそれを知らないだけのことなんだから、「自分が初めて考えた」だとか、「見つけた」だとかいうような大口は、人間あまり叩かない方が良いということですね。

 新年早々、反省すること頻(しき)りでした。(ああ、恥ずかしい)

(1月3日)

 
 

謹 賀 新 年

「おろかなる 身こそなかなか うれしけれ
                  弥陀のちかいに あふと思えば」(良寛)

        旧年中の御厚誼に深謝し、本年も宜しく御指導の程お願い申し上げます。

(2002年1月1日)

 
 

2001年10月〜12月分 現在の「日記」  2002年5〜6月分

 

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