法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
「西念寺婦人会だより」2014年1月〜12月分
 
2014年3月発行 掲載分
 
  「地獄」の話
             

鳥取県境港市に正福寺(曹洞宗)という寺院があります。
その本堂には「六道図」(ろくどうず)―1枚の「極楽絵」、3枚の「地獄絵」が飾られており、現在同市の有形民俗文化財に指定されているのですが、『ゲゲゲの鬼太郎』で有名な同市出身の漫画家水木しげるさんが、幼少期におばあさんと一緒にこの絵を見、その後の創作活動の原点ともなったことで有名になりました。

現代、特に若い人たちはどうか知りませんが、かつては

   「悪事を働いた人間は死後『地獄』に堕ちる」

という考えが生活の中に生きていました。

古代インド以来の六道輪廻(ろくどうりんね)の思想に拠れば、人はその死後、生前に行った行為、犯した罪の重さに準じて次の生でどこの何に生まれ変わるのかを決定されると言います。
犯した罪によって、ある者は「地獄」に落ちて針の山や血の池で様々な責苦を味わい、ある者は「餓鬼」となって絶えず飢えと渇きに悩まされ、ある者は「畜生」として人に飼われ使役され、ある者は「修羅」として絶え間ない戦いの中を、いずれも心休まることなく生きなければならないというのです。
反対に、善行を積んだ者は再び「人」に、あるいは「天上界」に生まれることができるともされていました。
この地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の「六道」を生まれ変わり死に変わり永遠に経巡ること、それを「輪廻」と呼ぶのです。

この思想が中国に伝わると、冥途(めいど)の官庁で閻魔(えんま)大王ら10人の王によって審判を受けて次の生を決定されるという、いわゆる「十王(じゅうおう)」信仰が生まれてきました。
この審判は初七日(しょなぬか)から二七日(ふたなぬか)、三七日(みなぬか)、……四十九日までの七日七日ごと、百カ日、一周忌、三回忌までの計10回それぞれの担当の王のもとで行われました。(閻魔大王は三十五日めの審判の担当です。)

次にどの生に生まれるかがすぐに決まる者もあれば、長く決まらない者もあり、この審判期間のうち特に四十九日までの間を「中有」(ちゅうう)、あるいは「中陰」(ちゅういん)と呼びます。

そこで遺族はその間七日ごとに僧に依頼して読経を捧げ、故人が地獄・餓鬼・畜生などの悪道に赴かないよう祈ったのです。
これが現在でも葬儀の際に多用される「故人の冥福(めいふく・冥途での幸福)を祈る」の語の本来の意味でした。

これに対して、阿弥陀仏の本願を信じ念仏する者は仏力によって、これらの審判を経ることなく、いたずらに六道を経巡ることもなく、命終ったその時に、一足飛びに阿弥陀仏の浄土へと生まれることができる、と説いたのが法然上人であり、親鸞聖人でありました。

科学文明が発達した現代、「あの世」の、地獄の実在を100パーセント信じている人はいないでしょう。
むしろ「人は死んだら終り、それまでだ」と皆思っているのはないでしょうか。

ではこの「地獄」の教えは現代には意味のないものなのでしょうか。

ある識者は「あの世」を信じなくなった、つまり「この世」しか信じなくなったことによって人間は倫理的な「歯止め」を失ったと言います。

「この世」だけを信じる人間は、

   「死んでしまえば人間おしまいなのだから、この世は何でもあり。
    所詮はうまいことやった者の勝ちだ。」

としか考えない。
その結果起きたのが昨今の「倫理崩壊(モラル・ハザード)」だというのです。

確かにそういう一面も否めないでしょう。
ただ、歴史を紐解いてみると、地獄を信じていた時代の人間が悪事を犯さなかったわけでもありませんし、今さら「悪人は地獄往き」と「あの世」の実在を連呼しても一笑に付されるだけかと思われます。

私たちは何も「地獄」を死後に限定しなくても良いのではないでしょうか。

源信僧都『往生要集』には、まさにこれから阿鼻地獄に堕とされようとする亡者がこう言って嘆く光景が描かれています。

   「我今帰する所無く、孤独にして同伴(とも)無し」
   (私には帰るところがない。独りぼっちで同伴者がいない)

それに対して地獄の獄卒がこう罵るのです。

   「癡人(ちにん)、すでに悪を作る、今何を用いてか悔を生ずるや」
   (物事の道理を知らぬ奴め。罪を犯していながら今さら何を後悔するのだ。)

どんな苦しい責め苦であっても、一緒に苦しんでくれる人があれば、お互いの苦しみを理解し合い励まし合うことができれば、まだ耐えられるのではないでしょうか。
地獄にはたくさんの亡者がいるにもかかわらず皆独りぼっちだというのです。
皆自分のことで精一杯で他を思いやる余裕がないのでしょう。

逆に言えば孤独でなければ、仲間がいればどんなに苦しくてもそこは地獄ではなくなるわけです。

NHKEテレに『100分de名著』という番組があり、古今の名著を取り上げ毎週25分×4回で解説していくのですが、先月はエーリッヒ・フロムの『愛するということ』が取り上げられていました。

それによると現代人の多くは孤独に悩んでいるが、それは本当の意味での「愛」を知らないからなのだそうです。
つまり多くの人は『愛』とは「与えられるもの」だと勘違いをしている。
他者に対する要求ばかりが先行して、それが受け入れられないと「愛してもらえない」と嘆くけれども、それはまるで未熟な幼児が愛されることだけを求めて駄々をこねているようなものであり、成熟した人間においては愛とは本来「与えるもの」であるというのです。

このことを頭に入れて先ほどの地獄の亡者と獄卒の会話を振り返るとこうなります。

   「誰も私のことを愛してはくれない。私は独りぼっちだ」
   「愚か者め、『愛されない』のではなく『愛さなかった』のだ。
    お前は愛を与えなかったではないか」

もちろん人間関係はそう単純ではありませんし、

   「愛してくれない者になぜ与えなくてはならないのか」
   「与えても報われないことの方が多いではないか」

と反論したい気もないわけではありません。

けれど孤独、地獄を作り出すのはやはり他でもない自分自身の「心」なのではないでしょうか。
東西2つの名著(『往生要集』『愛するということ』)から、私はそんなメッセージを受け取ったのでした。

(『西念寺婦人会だより』2014年3月号掲載)

《参考文献》
鈴木晶『NHKテレビテキスト 100分de名著 フロム 愛するということ』(NHK出版・2014年)

 
 
2014年9月発行 掲載分
 
 

「この世をしもうていく」ために


7月発行の『西念寺だより 専修』第39号でも紹介しましたが、石川県・富山県地方には古くから「娑婆(この世)をしもうていく」いう言い回しがあって、人が亡くなった際に「あの人もしもうていかれた」といった使い方をするそうです。

「しもう」はおそらく「しまう(仕舞う)」―おしまいにする。片を付ける―が訛ったものでしょうし、「いかれる」は「逝かれる」、あるいは「往かれる」ではないでしょうか。
「この世をしまっていかれた」という言葉を亡き人に手向けることはつまり、

「あの方はこの世でなすべき自分の務め・役割を立派に果たし遂げて、命終ってお浄土に往生していかれました」

という、北陸地方(=真宗王国)ならではの、その人の人生に対する「餞はなむけ」、最大の「讃辞」なのではないでしょうか。

こう考えた時私は親鸞聖人が作られた「和讃」を思い出しました。
親鸞聖人はご自作の「和讃」の中で師法然上人の死を次のように表現されました。

阿弥陀如来化してこそ
 本師源空としめしけれ
 化縁すでにつきぬれば
 浄土にかえりたまいにき

本師源空命終時
 建暦第二壬申歳
 初春下旬第五日
 浄土に還帰せしめけり(『高僧和讃』)

法然上人は建暦けんりゃく2年(1212)1月25日に数え年80歳で亡くなられましたが、そのご生涯は、「南無阿弥陀仏」と念仏するものを必ず救わずにはおかないと誓われた阿弥陀如来の本願を人々に伝え広めることに尽くされたものであり、そのお姿はまさしく阿弥陀の応化身おうげしん(仏が人々を救うために仮に人間の形をとってこの世に現れた姿)とも呼べるものでありました。
そして、その教化・伝道の縁が尽きた時、すなわちそのなすべき仕事をすべて果たし終えられた時、法然上人はその本来の住まいであるお浄土へと還っていかれたのです、というのがこれら2首の和讃の趣旨です。

法然上人のご生涯を讃えたこれらの和讃のお心と、「あの人もしもうていかれた」の言葉に相通じるものがあると感じるのは私だけでしょうか。

日本仏教史上、稀有な仕事をなされた法然上人と、北陸の一庶民を同列に並べるわけにはいかないでしょうが、私はこの言葉から、無数の名もなき庶民が、それぞれ多難な人生を通して念仏の教えを聞き抜き、そして語り伝えてきたという「歴史」を想像せずにはいられないのです。

では私たちが「この世をしもうていく」ためにはいったい何が必要でしょうか。

「私の人生こんなはずじゃなかった」「失敗だった」といった未練や後悔を残した最期であれば「しもうた」ことにはなりません。
「私の人生、これでよかった」と「しもうていく」ためには、たとえどんな辛い人生であっても

「これが私の人生である」
「今、自分が生きている此処こそが私の生きる場所、人生である」
「ここ以外に私の生きる場所はない」

と引き受けていくという「覚悟」が必要なのではないでしょうか。

しかし、これはそう簡単ではありません。

なぜなら私たちの眼は外に向いてついており、自分自身を見ることができないからです。
外に向いているその眼は絶えず、誰かと自分とを見較べて、

「あの人はいいなあ」
「恵まれているなあ」
「苦労がなくて幸せそうだなあ」
(それに引き換え自分には……)

と羨ましがるのです。

そして今の自分を不幸としか感じられない時、人はその誰か激しく妬み、憎んだりさえします。
(そして、その誰かはすぐ近くの人、実際には会ったことのある人とは限りません。
全く面識のないテレビ画面の向こうの有名人だったりタレントだったりもします。)

石川啄木(1886〜1912)がこんな歌を遺しています。

一度でも 我に頭を 下げさせし
  人みな死ねと いのりてしこと

啄木の実像は浪費家の借金魔でしたから想像するに借金の申込みで頭を下げたのでしょう。
「天才」を自負していた啄木のことですからさぞかしプライドが傷ついたのでしょう。

また啄木にはこんな歌もあります。

友がみな われよりえらく 見ゆる日よ
  花を買ひ来て 妻としたしむ

立派そうに見える友人の姿に落ち込む啄木の心情が赤裸々に詠まれた歌ですが、友達は何も啄木を落ち込ませるために偉くなったわけではありません。
友達が偉くなったのを見た皆が皆落ち込むわけではありませんし、啄木にしてもいつもいつも羨んで落ち込んでばかりだったわけでもないでしょう。

つまり「問題」は友人たちの側、態度や言動にではなく啄木の側、そう感じてしまう彼自身の心の方にあったのでしよう。

しかし外を向いている私たちの目は「問題」が自分自身の内側(心)にあることに気づきません。

人の心には自分と他人を比較して他を侮り、自らは思い上がろうとする抜き難い性癖があることを、人間の内面に目を向けた仏教の智見は「慢まん」(比較)の「煩悩ぼんのう」と言い当てました。

「これが私の人生」と引き受けさせないのはこの「慢」の仕業です。
自分の中の「慢」にこそ真の原因があることを自覚しない限り、時に他を羨んで自らを卑下し、時に他を蔑んで自ら驕り高ぶるという不毛な繰り返しから抜け出ることができません。

また、「較べる」とは、具体的な誰それの人生と比べる場合だけではありません。

「山のあなた」(カール・ブッセ、上田敏訳)という詩があります。

山のあなたの空遠く
「幸」(さいはひ)住むと人のいふ。
噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。

(【訳】「山の彼方のはるか向こうに幸せが待っている」と人が言うので、実際に探しに行ったけれど、結局は見つけることができずに涙ぐみながら帰って来た。
けれどそんな私に、今度は「山の彼方のもっともっと遠くに幸せがある」と人が言うのだ。)

たとえ今の自分が「不幸」だと感じていない人であっても、

「ここではないどこかに、もっと幸せな場所がある。
 今とは別の幸せが待っている。」

言葉を換えれば

「もっといい人生が、あなたにふさわしい幸せな人生あるはずだ。」

と囁かれれば心が揺らいでしまうのをどうしようもできない。

今の自分のそれとは違った別の人生を夢想し、それと比べて現実の人生を「不幸」だと思ってしまう。

人間はなかなか「今」に、目の前の「幸せ」に満足することができない生き物だと言わざるを得ません。

「あきらめる」という言葉は現在では「物事を断念する、放棄する」といったいわば悪い意味でしか使われません。
しかし、仏教において「諦める」とは「明らかに見る」、物の道理をしっかりとらえ、原因・結果を明らかにする、つまびらかにするという意味があります。
つまり道理を諦めることを通していたずらに「夢」を追うことを断念するのです。

それこそ「自分は自分だ」とあきらめる。
あるいは「ここ以外に自分の生きる場所がある」という想いが「夢想」でしかないとあきらめる。

仏教とは私たちにあきらめ=目覚めを促す教えなのです。

他人の幸福をうらやんではいけない。
なぜならあなたは彼の密かな悲しみを知らないのだから。(ダンデミス)

という言葉を最近知りました。

幸福そうに見える人がその陰でどれだけの辛さや悲しみを抱えているか。
いやむしろ人は皆、一人の例外もなく悲しみを背負って生きているのだ。

この言葉もまた、私に目覚めを促す仏さまからの教えの言葉なのかも知れません

(『西念寺婦人会だより』2014年9月号掲載)

 
 
2014年11月発行 掲載分
 
 

「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」

(俳優高倉健、座右の銘)

去る11月18日、俳優高倉健さんの訃報が全国を駆け巡りました。
悪性リンパ腫のために10日に亡くなられ、故人の遺志によりすでに近親者のみで葬儀も済ませたとのことでした。

高倉健さんと言えば日本映画界を代表するスターのお一人で、熱烈なファンというわけではない私でさえも、「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)、「居酒屋兆治」(1983年)、「鉄道屋(ぽっぽや)」(1999年)等、自分が観た数本の主演映画を挙げることができます。
また、不器用で寡黙、愚直で誠実といった役柄そのままの人柄で、ストイック(禁欲的)な役作りやスタッフ・俳優仲間への細やかな心遣いから、多くの人たちから慕われ尊敬されていたとも聞きます。

翌19日の朝、新聞を開いて訃報記事を捜した私の目に飛び込んできたのが、「今月のことば」に挙げた「往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし」の見出しでした。

                  

これを読んだ時、私は「アレッ」と思いました。というのはこれと大変良く似た言葉を知っていたからです。

それは、『大無量寿経』の中にある

「仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔」
(たとい身をもろもろの苦毒の中に止(お)くとも、わが行、精進にして、忍びて終(つい)に悔いじ)

という一節です。

早速インターネットで調べたところ、この「往く道は…」は天台宗・比叡山延暦寺の大阿闍梨酒井雄哉師との対談の際に贈られた高倉さんの「座右の銘」で、出典は私が想像した通り『大無量寿経』。
所属事務所が報道各社に送信したファックスの文中にあったことから、マスコミがこぞって用いたのでしょう。

『大無量寿経』には、阿弥陀仏がまだ覚りを開く以前の法蔵比丘(ほうぞうびく)という名の修行者(菩薩)だった時、師である世自在王仏(せじざいおうぶつ)に向かってその徳を讃嘆し、自らもまた仏となって清浄の国(浄土)を作り、一切の人々を救いたいと述べた偈頌(げじゅ、讃歌)=「嘆仏偈(たんぶつげ)」が説かれていますが、この「仮令身止 諸苦毒中 我行精進 忍終不悔」はその「嘆仏偈」の一番最後に位置し、衆生済度のためには、たとえその営み(精進)の途上でいかなる苦難に見舞われても耐え忍び、決して後悔はしないという菩薩の志願と決意を述べた箇所であります。

菩薩の誓願を伝えるこの「往く道は……」を酒井阿闍梨から贈られた高倉さんは、過酷なロケが予想された映画「南極物語」(1983年)への出演を決め、その後も俳優という生業に精進しつつ、自らの心を磨いてこられたのでしょう。

ただ、私はこの「仮令身止……」の直前に

「十方世尊 智慧無礙 常令此尊 知我心行」
(十方の世尊、智慧無碍にまします。常にこの尊をして我が心行を知らしめん。)

という文があることに注目したいと思います。

法蔵菩薩は「自分は孤独でよい」「誰からも理解されないでいい」と言っているわけではありません。
十方の世尊(仏)に私の心と行いを知らしめたい、理解していていただきたい。
言い換えれば、諸仏に理解してもらえさえすれば、自分はどんな苦難をも忍ぶことができる、と語っているのです。

高倉さんにも『あなたに褒められたくて』(1993年)という題のエッセイ集があるそうです。
(タイトルの「あなた」とは亡くなられた高倉さんのお母様のことです。
お母様が危篤の時、高倉さんは映画「あ・うん」(1989年)の撮影中で、言えば撮影が中止になるからと誰にも明かさず、結局高倉さんは告別式にも出席しなかったそうです。)

「僕が荒れ性であかぎれが切れたり、いろいろするってのよく知ってるんですよ。
仁侠映画のポスターでね、入れ墨入れて、刀持って、後ろ向きで立っているやつでね、全身の。
肉絆創膏を踵に貼ってたんですよ。
それを、『アッ、あの子、まだあかぎれ切らして、絆創膏貼っとるばい』って。
見つけたのは、おふくろだけでした。
全身のポスターで、誰も気がつかない。
『あんたがね〜可哀想』」
「お母さん。僕はあなたに褒められたくて、ただ、それだけで、あなたがいやがってた背中に刺青を描れて、返り血浴びて、さいはての『網走番外地』、『幸福の黄色いハンカチ』の夕張炭鉱、雪の『八甲田山』。北極、南極、アラスカ、アフリカまで、30数年駆け続けてこれました。
別れって哀しいですね。いつも──。
どんな別れでも──。
あなたに代わって、褒めてくれる人を誰か見つけなきゃね。」

人は誰しも自分を、自分が選んだ道を理解してくれる人、誰かを求めています。
そしてその誰かがいてくれさえすれば、人はその道を悔いなく生き切ることができるのでしょう。
……たとえその道半ばで斃れたとしても。
(高倉さんは次回作の準備中だったそうです。)

(『西念寺婦人会だより』2014年11月号掲載)


Copyright(C) 2001.Sainenji All Rights Reserved.