![]() |
![]() |
「西念寺婦人会だより」2000年1月〜6月分 | |
![]() |
|
「おらは、人さんに堪忍して貰ってばっかりおりますだいな」 (妙好人・因幡の源左) この言葉は、昭和の始めまでご存命だった青谷町山根の足利源左衛門さん(1842〜1930)、通称"妙好人因幡の源左"さんの遺された言葉です。 「妙好人(みょうこうにん)」とは、浄土真宗における篤信の在家信者を褒めたたえた呼称で、妙好人の多くは名もなく無学な田舎の人々で、お隣り島根県温泉津の浅原才市さん(1850〜1932)なども有名です。 源左さんも一生涯お百姓として田畑を耕し楮を栽培して、文字通り土と格闘して生きた人です。昔のことですから学校に行くこともなく、字の読み書きもできなかったそうです。 しかし、18歳の時にお父さんが急死したことが縁で、それこそ若い時分から寺に参って真宗の教えをよくよく聞いていたのだそうです。 大正11、2年頃のことですから、源左さん60歳の頃、智頭町に京都の一燈園主西田天香さん(1872〜1968)が講演に招かれて来られたことがありました。当時天香さんは『懺悔の生活』というベストセラーを出版した全国的な有名人で、源左さんも山根からわざわざ出かけていったのですが、交通事情の不便な当時のこと、会場に到着した時にはすでに講演は終わってしまっていました。 気の毒に思った誰かが案内でもしてくれたのか、源左さんは講師のお宿で天香先生に会えることになりました。 挨拶の後、源左さんは先生の肩を揉み始めました。(源左さんという人は人の荷物を背負ったり人の肩を揉んだりすることが好きで、またお灸をすえるのも得意だったそうで、この時も遠方から来られた先生のためにと自分から申し出たそうです。) そうやって肩を揉みながら「先生様、今日のお話はどがなお話でござんしたな」と尋ねた源左さんに、先生は、
と答えられました。
この言葉がよく理解できなかったのか、先生は「もう一度言ってくれ」と聞きなおされたのですが、それに対して源左さんは、
この答えに対して先生は「私が肩を揉んでもらうような爺さんではない」とおっしゃったそうです。
こう考えている人は結構多いのではないでしょうか。そうやって自分を励まして、自分自身の価値を自分で確かめて、毎日を乗り切っていこうとしているのが私たちではないでしょうか。
「堪忍して下さる方」とは源左さんの言葉を借りれば「親様」、まさしく阿弥陀さまに他なりません。
(「西念寺婦人会だより」2000年2月号掲載) 〔参考文献〕 |
![]() |
||||
![]() |
|
幸せのモノサシ 昨年末、とある男性のお葬式を勤めました。その方は米子の出身でしたが、就職のために都会に出られて以来故郷には戻らず、独り暮らしで、最期は亡くなっていたのを隣人によって発見されたのだそうです。報せを受けた御親族が連れて戻られ、米子で葬儀となったわけです。 そんな御事情でしたから御親族の悲しみもひとしおで、 「何とまあ可哀想な、不幸な一生だったんだろう」とお嘆きの様子でしたし、私もお話を聞けば「成程、気の毒な御一生だ」と思いました。 しかし、その後しばらく経ってから私は、自分が亡くなったその方を「可哀想な方・不幸な一生の人」と決め付けていることに気付いて「おかしいゾ」と感じ出しました。 故人をよくご存じの遺族ならともかく、その方のことをよく知りもしない私が、その方の生涯を「可哀想な・不幸な一生」、言葉を換えるならば「失敗の人生」と捉えている。これはよく考えてみると亡くなったその方に対して非常に失礼なことなのではないでしょうか。 もし相手が故人ではなく、生きている人であるならば、 「あなたはいったい私の何を知っているというのだ。そのあなたが私の一生を不幸で失敗だと言う。ずいぶん傲慢な話ではないか」 といった言葉が当然帰ってくるのではないでしょうか。 それではなぜ私が一度も会ったことのない方の人生を不遜にも「不幸」だと感じたかと言えば、結局その人の生涯全体を、その「死に様」によってのみ判断しているからだと気が付きました。 「死に様」というのは一つにはいくつで亡くなったかということです。 年少であれば「まだ若いのにお気の毒に」(不幸な人生)。高齢であれば「これだけ長生きしたのだから、まあ良しとせにゃあ」(幸福な人生)といった具合にです。 そしてもう一つはどんな死に方であったかということです。 病気で寝込んだ末か、突然の事故か。かつては「畳の上で死ねる・死ねない」といった言い方もありました。 なぜこのような見方が生まれるかと言えば、我々日本人の幸福観が畢竟「健康と長寿と生産」にあるからだそうです。 健康・長寿・生産、どれ一つ欠けても幸福とは言えない。元気で長生きで働けることこそが幸福なのですから、若死にや寝たきりがこれに反することは言うまでもありません。 現在の日本の経済的繁栄は、言わばこのような幸福観の成果に他なりませんし、このような幸福観からすれば例えば貧しいということは当然悪いこと(不幸)になります。 とあるインド人の観光ガイドさんの話です。 彼はもともと日本人が好きで、一生懸命日本語を勉強して自国を訪れた日本人を案内する仕事についたのですが、今は日本人が嫌いになったそうです。 なぜかと言えば、
私は、彼が言うように、日本人の全てが成金根性で貧しいインド人を見下しているとも思いませんが、私達が貧しい〓悪、貧しい〓不幸という幸せの尺度・ものさしに執われていることだけは間違いないと思います。 五木さんの知り合いの編集者が乗っていた通勤電車が突然に停まったのだそうです。 鈴木さんはある田舎町で交通事故を目撃したそうです。はねられたのは小さな子供で、一目で生命が危ないとわかる程の重傷だったそうです。母親はグッタリとした子供を抱えてオロオロと泣くばかりで、鈴木さんも内心もう駄目だとは思いながらも「医者を、早く医者を」と叫んだそうです。 (「西念寺婦人会だより」2000年3月号掲載) 〔参考文献〕 |
![]() |
||||
![]() |
|
「障害」は不便である。しかし、不幸ではない。 (ヘレン・ケラー)
上に掲げたH・ケラーの言葉を私に教えてくれたのは、ベストセラーになった『五体不満足』(講談社)という本です。
置かれた情況こそ違え、乙武君のお母さんもおそらくこんな心境ではなかったでしょうか。
その問いに対してバリアフリー社会の実現、とりわけ「心のバリアフリー」を目指すという答えを見つけた彼は、「障害をもっていても毎日が楽しい」、「障害者である自分が好きだ」と語ります。冒頭のH・ケラーの言葉も、そんな彼の心境を伝えるものとして引用されています。 (「西念寺婦人会だより」2000年4月号掲載) 〔参考文献〕 |
![]() |
||||
![]() |
|
生かさるる いのち尊し けさの春 (中村久子)
この詩は、希有の念仏者として知られた中村久子さん(1896〜1968)の詩です。
という言葉を最後に急死されます。
また、癌のために早世された北海道の鈴木章子さんは、その心境を「おもい」という詩で語っておられます。
手も足もあるのに、気が付けば私は「あれが足りない。これが気に入らない。これがあれば(あれさえなければ)―つまりは自分の思い通りになりさえすれば―、自分はもっと幸せになれるのに」と思いながら暮らしています。
条件さえ整えば、いつ殺人犯となっても不思議でない。それが私の心の本性ではないでしょうか。 (「西念寺婦人会だより」2000年5月号掲載) 〔参考文献〕 |
Copyright(C) 2001.Sainenji All Rights Reserved.