法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
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寺報「西念寺だより 専修」 年1回発行 〜 第29号<2004年6月発行>
 
 

人間の闇 心の闇
 

金井寿郎さんの「驚き」

 昭和38、9年頃と言いますから今からおよそ40年前の話になりますが、元NHKチーフディレクターの金井寿郎さんが和田重正先生(小田原市・はじめ塾創始者)に

「頭の中に描いた理想像に向かって精進努力していれば、いつかは目標に到達できるのでしょうね」

と質問なさったそうです。
(金井さんは当然、「その通りです」という返事が帰ってくるものと思っておられました。)

 しかし、金井さんの意に反して先生は、即座に大きな声で

「それでは、とんでもないところへ行くでしょうね」

と返答されたそうです。

 「質問が聞こえなかったのか」と思い直してもう一度尋ねた金井さんに対して、先生はやはり「とんでもないところへ行くでしょう」と答えられたそうです。

 予想もしなかった答えに度肝を抜かれた金井さんは、「とんでもないところ」がどんなところかとも聞き返せないままその場を後にされました。
 そして、その言葉が長い間金井さんの「宿題」になったそうです。

金井さんならずとも絶句し、事によったら「訳のわからん話だ」と一笑に附してしまうような先生の答えですが、仮に質問の「理想」「目標」という言葉を「自分の思い描いた通り、思い通り」、あるいは「思いのまま」に置き換えたらどうなるでしょうか。

「努力を続けていたら自分の思い描いた通りになる。
 思い通りの自分にいつかなれるし、他人や世の中が思いのままになる」

こんな言い方であったら、「ちょっと虫の良過ぎる話では」という反応が帰ってくるのではないでしょうか。

私たちは「理想」という言葉の美しさに幻惑されがちですが、実はそれは、「自分勝手な未来図」とどれほどの違いがあると言うのでしょうか。
 実は、ほとんど紙一重なのではないでしょうか。
 

漱石の見た「西洋」 

 夏目漱石の小説『吾輩は猫である』(明治38〜9年発表)にこんな一節があります。

「西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分流行(はや)るが、あれは大なる欠点を持っているよ。
 第一積極的と云ったって際限がない話しだ。
 いつまで積極的にやり通したって、満足と云う域とか完全と云う境までいけるものじゃない。
 向(むこう)に檜(ひのき)があるだろう。
 あれが目障りになるから取り払う。
 とその向こうの下宿屋が又邪魔になる。
 下宿屋を退去させると、その次の家が癪に触る。
 どこまで行っても際限のない話しさ。
 西洋人の遣り口はみんなこれさ。……
 川が生意気だって橋をかける、
 山が気に喰わんと云って隧道(トンネル)を掘る。
 交通が面倒だと云って鉄道を布く。……
 それで永久満足が出来るものじゃない。
 去ればと云って人間だものどこまで我意を通すことが出来るものか。
 西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。」

明治人漱石が「西洋人の遣り口」と批判した「目障りなもの」「邪魔なもの」「癪に触るもの」を取り払うそれは、まさしく現代の日本人である私たちの在り方ではないでしょうか。

 「精進努力」とは言いながら、私たちの理想追求・幸福追求とは、まず目の前にある様々な事象を善と悪、正と邪、有益(害)と無益(害)とに選り分けて、「邪魔」なもの、「不要」なものを徹底的に切り捨てていく分別取捨の営みに他なりません。
 しかし、漱石によればその営みがもたらすものは、何時までたっても満足することの出来ない、「つまり不満足で一生をくらす」人生であると言います。
 そしてその分別取捨の営みは、突き詰めていけば、、排除する対象が自分であれ他人であれ、殺してでもそれを取り除かずにはおかないという危険性を実ははらんでいるのです。

 理想や幸福の追求が必ずしも悪いわけではありません。
 しかし問題は、そうやって「よしあし」を分別していく私たちの眼がどれほど確かなものであるか、 私たちがそうやって追い求めている幸福や理想が果たして「本物」であるか、ということにあるのではないでしょうか。
 

 「不安は私のいのちやもん」(山崎ヨン)

  「不安は私のいのち」。
これは石川県金沢市の真宗門徒山崎ヨンさんが、「私らの会に来ればあなたの不安をとってあげる」と訪ねてきた新興宗教の勧誘に対して答えた言葉だそうです。

「そうか、ご苦労さんやねえ。
 不安の世の中でねえ。
 そやけどこの不安、あんたにあげてしもうたら、ウラ、なにを力に生きていったらいいがやろね。
 不安は私のいのちやもん。
 不安とられたら生きようないがんないか。
 ウラ、まだ死にとうねえもん」

 この言葉を聞いた勧誘の人は、黙ってしばらく山崎さんの顔を見つめた後、「お婆ちゃんの額から光がさしている」という言葉を残して引き上げられたそうです。

私たちが日々生活するに当たって不安や心配事の種はうまく取り除けたらそれに越したことはないはずです。
 それが出来ないならば、せめて「クヨクヨ思い悩まないでいこう」と考えるのが普通です。

それを「私のいのちだから、頼むから取らないで」というのはどういうことなのでしょうか。

 山崎さんの「不安」の種は実はお子さん、それも障害(聾唖)を持った娘さんでした。

山崎さんは若い頃結婚に失敗。
 離婚した時にはもうお腹に赤ちゃんがいました。
「とにかく産んで、子供が一人前になったら人生やり直せば良い」と思い直して出産したところ、産まれてきたのはそんな娘さんでした。

「無間地獄とはこのことか。
 私の人生はこれで終わりか」

と真っ暗な思いをかかえ、子供を背負い

「二人であの世へ行こう。
どうか極楽に行く道を教えて下さい」

と6、7年間あちらこちらの寺を尋ね回ったそうです。

結婚に失敗したのが19歳の頃。
 その同じ山崎さんの口から50年後に出てきたのが、前述の「不安は私のいのち」だったのです。

 山崎さんはおっしゃいます。

「『この子が居るために自分が犠牲になった』とかつては娘を白い眼で見たこともあったが、娘さえも邪魔者扱いするそんな自分の心を鬼の心、人殺しの心だと見る眼を私はいただいた。
 鬼を見る眼をいただけた今、やっと、『私を迷わせ、お念仏の世界に立たせるために、この子の方が私の犠牲になってくれた』と手を合わすことができる。
 自分の死後の娘のことを思うと心細くてやりきれないが、子供と後生の問題とが、縄のように自分を支えている。
 これが自分の生命やと思うております。」

山崎さんは長い苦闘(人生苦と仏法聴聞)の末に「智慧」の眼、どこまでも「我」―自分の立場を立て、わが子をさえ取り除くべき障害物と見る「鬼・人殺し」の眼ではなく、自分をこの世につなぎ止めて、生きる理由と力とを与えてくれる「生命の糧」と見る眼を獲得なさったのです。 
 

「念仏よ興れ!」(高史明)

 6月1日、長崎県佐世保市で悲しい事件が起きました。
 小6の少女が同級生を校内で殺害したこの事件の詳細(動機・背景)はまだよくわかっていません。

目の前に立ちふさがる重苦しい「異物」。
 それさえ取り除けば思い描いた通りの「未来」が訪れるとでも考えたのでしょうか。
 しかし、「一部分」のはずのそれを取り除いた時、彼女は自分を取り巻き支えてくれる世界の「全て」を失ったのです。

この事件は少女の個人的資質が問題なのでも、インターネットやカッターナイフといった道具が問題なのでもありません。
 私たちが「快適な生活のためには一切の異物を排除せずにはおかない」という「闇」を抱えている限り、闇を闇だと自覚しない限り、同様の事件は世界中のどこででも、どの学校でも起こるはずです。
 誰もが被害者にも、また加害者にもなり得ます。

「異物」すらも私の生命の糧であること、「異物」こそが私の闇を教えてくれる宝であること、そのこと知らしめ、闇を闇と知らしめる「光」をこそ私たちは求めなければならないのではないでしょうか。

 かつて作家高史明(コ・サミョン)さんは、「生きてくれ」との呼びかけも虚しく自ら死を選ぶ子供たちにこう叫ばれました。

「世に苦が満ち満ちています。
私が「生きてくれ!」と云うことは、それらの子に届かないのです。
『念仏よ興れ!』と、私にはそれしかいえないのであります。
この世に満ち満ちている苦のすみずみで、『念仏よ興ってくれ!』と、そのようにしか言えないのであります。」

 少女を凶行へと駆り立てた「闇」が何なのか私には理解できません。
 「なぜ?」よりも「またか!」が正直な実感でもあります。

 けれどそれでも私もまた叫びたいのです。

「殺すな!」
「生きろ!」
そして、「念仏よ興れ!」と。

(『西念寺だより 専修』第29号〈2004年6月発行〉掲載)

〈参考文献〉
金井寿郎『新みちしるべ−釈尊・十大弟子シリーズ 「たもちかた(持律)」』
(仏教伝道教会 さんぽうの会・2001)
夏目漱石『吾輩は猫である』(新潮文庫・1961)
松本梶丸編著『生命の大地に根を下ろし 親鸞の声を聞いた人たち』(樹心社・1987)
高史明『一粒の涙を抱きて歎異抄との出会い』(毎日新聞社・1977)


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