法話ライブラリー   真宗大谷派 西念寺
 
報恩講挨拶法話1(2004年6月)
 
 

人生の同伴者
 

 後世の創作ではありますが、親鸞聖人の御遺訓〈ごゆいくん〉として伝わるものに『御臨末の御書』〈ごりんまつのごしょ〉があります。

我が歳きはまりて、安養浄土に還帰〈げんき〉すといふとも、和歌の浦曲〈うらわ〉の片男浪〈かたおなみ〉の寄せかけ寄せかけ帰らんに同じ。
一人居て喜ばは二人と思ふべし。二人居て喜ばは三人〈みたり〉と思ふべし。その一人〈いちにん〉は親鸞なり。

 我なくも法〈のり〉は尽きまじ和歌の浦
      あをくさ人のあらんかぎりは

弘長二歳十一月

愚禿 親鸞 満九十歳

があります。

 殊に、「1人居て喜ばは2人と思うべし。……その1人は親鸞なり。(念仏を喜ぶ人が1人でもあればそこに私親鸞が共に居る)」という1句からは、先人が聖人をどのような方として仰いできたかを窺い知ることができます。

 「士は己を知る者のために死す」(『史記』)という言葉さえあるように、人間はたった1人でも自分を理解し、認めてくれる人が在るならば、どんな困難な道でも勇気と自信をもって歩けるものです。

 先人は聖人を、そして阿弥陀如来を「見ていてくださる方」、そして「『難度海』〈なんどかい〉たる人生を共に超えよう、と一緒に歩んでくださる方」と仰いできたのでしょう。

 今日の報恩講をそんな親鸞聖人と出遇う大切なご縁としていただきたく存じます。

(『親鸞聖人報恩講 1分3分5分あいさつ法話実践講座』(四季社・2004年6月刊)
掲載原稿に加筆訂正)


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